るぽっとシンパシー

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20代が私だけじゃないと共感し、ほっと一息できるスポット

自虐女子ほど女子人気が高い

どーも、おっさん女子大生とんです。

 

 

私は高校の時、自分で言っちゃあなんだけど結構女子の友達が多く『面白い』と人気だった。

 

なんなら男子にモテるよりも女子から面白い、一緒にいて楽しいと思われる方が幸せだった。

 

今冷静になってなぜ、私は女子から人気が出たのかを分析してみた。

 

その結果が

『自虐女子ほど女子人気が高い』だ。

 

 

 

《自虐女子を極めたJK時代》

 

私がJKの時はとにかく自虐ネタを披露していた。

 

「まじ私胸なさすぎてまな板にレーズンなんだけど」

「安心しろって私は数学の問題集3週しても赤点だぞ」

 

など数々の自虐ネタで周囲を笑わし、安心をプレゼントしてきた。

 

他人はこれを聞いて可哀想と思うかもしれないが、

私はみんなが面白い、変なやつと言ってくれてめちゃくちゃ気分が良かった。

 

 

《なぜ女子は自虐女子が好きなのか》

 

女子は自慢するマウント女子が嫌いだ。

 

これは小学生の時からずっとそうだ。

それは大人になっても全く変わらない。

 

小学生の頃はクリスマスのプレゼントのレベルを、

大人になれば彼氏や生活のレベルを

自慢してくる女子はすぐに嫌われる。 

 

異性の恋人との喧嘩でよく女性脳、男性脳という問題が取り上げられるが

これが女子人気にも当てはまる。

 

 

女性は"共感"を求めるのだ。

 

かわいいでしょこのアクセサリー

私の生活はあなたよりいいでしょ

 

そんな言葉に"共感"は1ミリもない。

 

 

まじで胸なさすぎてブラの意味なしてない

彼氏がメンヘラすぎて死ぬ

 

 

こう言った言葉を聞いて女子たちは

 

『うける、私よりやばい』

『めっちゃわかる』

 

そう考えるのだ。

 

 

《自虐女子は幸せなのか》

 

自分を卑下する自虐だが、

実際に自虐している本人は至ってハッピーの場合が多い。

 

自虐している女子も"共感"を求めているのだ。

自分の自虐ネタに"共感"し、笑ってくれる

それは自虐女子にとって幸せなことだ。

 

私は自虐女子も一種の才能とみなしている。

自分の痛い過去や恥ずかしい経験を面白おかしく話す。

自分の精神も明るい方に変化するし、周りも楽しくなる。

 

 

教室で馬鹿でかい声で自虐ネタを話す自虐女子は男子からは全くモテないが、

私はそれでも自虐女子の自分が好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

”打つ”行為が言葉の重みを麻痺させる

どーも、おっさん女子大生とん。です。

 

 

今日、とてもショッキングなニュースが飛び込んできた。

私が毎週欠かさずに観ているテラスハウスに出演していた木村花さんが亡くなったというニュースだ。

 

木村花さんは以前からSNSなどでの誹謗中傷に悩まされてきた。

未だ死因は公表されていないが、この誹謗中傷が彼女を苦しめていたことは明白だ。

 

 

私はこの訃報を聞いて、

『なぜ人は面と向かっては絶対にいえないような言葉をSNSではいとも簡単にいえてしまうのだろう』と考えた。

 

 

それは”打つ”という行為が関係しているのではないだろうか。

 

 

《”書く”と”打つ”の違い》

 

私が小学生のころは”打つ”という行為をほとんどしなかった。

宿題や友達との交換日記はすべて手書きだった。

 

手で”書く”ことの長所は以下のようなものだ。

 

・考えて、書く。

・書いたものは自ら手渡したり、ポストに投函しないと相手に届かない

・読み返す

 

 

<考えて、書く>

 

手で文字を書く時、まず頭で何を書こうか考える。

考えて、何を書くのか決まらなければ”書く”行為には移れない。

しかし、”打つ”となると、考えながら打つことができる。

パソコンやスマホに打ち込む文字は消しゴムや修正機が無くても、簡単に消すことができる。

 

「こう書いたら相手は何と思うだろう」

「自分は何が言いたいのか」

書くことはこれらを考える時間を作ってくれる。

 

 

 

<書いたものは自ら手渡したり、ポストに投函しなければならない>

 

メールやLINE、SNSは家にいようが電車の中だろうがどこにいても送ることができる。

書いた手紙は自分で届けに行かなければいけない。

親指だけで作った文章と、体を使って相手に届ける文章の重みが異なることは歴然だ。

 

手紙や書類をポストに投函するときのわくわくやドキドキはメッセージボタンにはない。

 

 

<読み返す>

 

手紙を書いたとき、私は完成した手紙を封筒に入れる前に必ず読み返す。

誤字はないか、おかしい言い回しはないか、

自分の言いたいことが相手に届く文章か

 

ところがLINEやSNSでは自分が打った文章を読み返すことはほとんどない。

読み返すとしても、相手に送った後だ。

 

読み返すという行為が自分と向き合うものであり、

その言葉を読んで自分はどう思うかを考えることができる大切な時間なのだ。

 

 

《”打つ”行為が言葉の重みを麻痺させてしまうからこそ、一人一人がそれを自覚しなければならない》

 

 

芸能人にアンチや誹謗中傷を送る人たちは、手紙なら同じ言葉や言葉使いを使っただろうか。

何も知らない相手に向かって書いた汚い言葉を読み返せば、封筒に入れてポストに投函する人は少ないだろう。

 

だがすでに現代は”打つ”行為に溢れ、”書く”ことは少ない。

この時代の変化は止めることができないからこそ、

私たちが”打つ”ことで言葉の重みがなくなっていることを自覚しなければならない。

 

 

”書く”としたら自分は本当にその言葉を相手に贈るのか。

自分に問い、自分に恥じない言葉を選びたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとのセクハラって女性が女性に言う、「子ども産まないの?」って言う質問だと思う。

 

どーも、おっさん女子大生ブロガーのとん。です。

 

 

最近リモートワークの方々が増えて、リモートハラスメントなんてものが出現してるとニュースで知った。

 

男性の上司が女性社員に

「下着とか部屋で干してるの?」と聞いたりリモートでセクハラが横行しているらしい。

 

そのニュースを見ていて、確かにそんなこと言われたらめちゃくちゃキモいけど、私にとって聞いていてもっと不愉快になる言葉がある。

 

女性が女性にいう、

『子どもは産まないの?』

『結婚しないの?』

という言葉だ。

 

 

《母は芸能人夫婦に対してよくこの言葉を使う》

 

母と一緒にテレビを見ていると、芸能人夫婦が映る。

すると、大抵母は

「ここはまだ子ども産まないのかなぁ?」

「この人って結婚してたっけ?」

ということを言う。

 

私は自分が大学生になり、当事者に年齢が近づいてくるに従って、その言葉をきくとカチンとくるようになった。

 

『子どもを産まないことがそんなにいけないことなの?』

『その人の価値は結婚しているかどうかで変わるの?』

 

そんな思いがどんどん強くなっていった。

 

私にとっては、男性がふざけて言うセクハラよりももっと重く、笑い飛ばせるものではなかった。

 

 

《女性自身が女性を差別している》

 

私の母意外にも女性でこのように発言する人は少なくない。

 

セクシャルハラスメントと訴える相手の多くは男性だが、

 

女性は結婚すべき

女性は子どもを産むのが普通

 

という考えを持っている女性たち自身もまた、女性にセクハラをしている。

 

女性は男性と対等だ、と主張するのであれば

女性たち自身がこの考えを変えなければならない。

 

 

《女性も男性も関係なく、自分の幸せは自分で決める》

 

独身でも、結婚しても、子どもを産んでも産まなくても、

その人が自分で選んで幸せな道ならばそれでいい。

 

女だからこうすべき

 

そんな考えはまず女性たち自身から排除するべき。

女だろうが、男だろうが、自分は自分。他人は他人。

 

自分らしく生きることが1番かっこいいし、

そんな人が邪魔されない世の中がいい。

 

 

 

 

辞める勇気

どーも、おっさん女子大生ブロガーとん。です。

 

 

物事を継続する力

 

は称賛され、長所として扱われる。

 

夢を諦めず、

努力し続けて夢を叶えた人は素晴らしい。

みんなが憧れ、褒めたたえる。

 

でも、ほとんどの人は途中で必死に努力してきたことを諦める。

諦めた人は負け犬なのだろうか?

逃げた。ということなのだろうか?

 

継続してきたことを辞める

 

この行為には続けることと同じくらい勇気が必要だ。

 

諦めた人には『辞める勇気』があったのだ。

 

 

《15年間継続してきた夢を諦めた》

 

私は3歳から15年間、バレエダンサーを夢見てひたすらバレエに打ち込んできた。

みんなが部活動に入り、放課後は練習する中

私は急いでバレエスタジオに向かって夜中まで練習する学生時代だった。

 

15年間本気でバレエダンサーになろうと考えていたため、

上手くできず苦しい時はあったが、『辞めたい』と思ったことは一度も無かった。

 

しかし、高校2年の冬、

初めて『踊る事が楽しくない』と思った。

 

その時練習していた役が上手くいっていなかったのはあったが、今までだって同じようなことは山ほどあった。

自分でもよく分からなかった。

脚を高くキープすることだって、今まではどんなにきつくても『もっと高く!もっと綺麗に!』しか考えていなかったのに、

『きつい、楽しくない』と思うようになった。

 

そんな状態で一ヶ月ほどレッスンを続けたが、

ある日爆発し、帰宅した瞬間号泣した。

あれだけ好きだったものが好きではなくなる、ということが怖かった。

 

私は最後の舞台に立って、15年続けたバレエをやめた。

 

 

《人は変化を恐れる》

 

一つのことにずっと打ち込んできた人は

それだけ犠牲にしてきたものも多いし、たくさんの人に支えられてきた。

 

だからこそ、

『あんだけ他の事も我慢してやってきたのに諦めるなんてもったいない』

『みんなの期待を裏切れないなぁ』

そう思って辞められない。

 

続けてきた分、辞めるのも難しい。

 

 

続けてきたものをやめることで自分は空っぽになった気がする。

自分の代名詞がなくなったみたいな。

(私は小さいころから”バレエをやってる子”だった)

 

 

 

《勇気を出して”辞めた”ら、自分は空っぽじゃないことに気づく》

 

私からバレエを取ったら何にも残らない。

そう思っていた。

 

でも辞めてみると、バレエで得た物は確実に自分の中に残っていて

自分はバレエのおかげで中身がずっしり詰まっていることに気づいた。

 

”上手く踊れない時、どうしてだろうと考え、反省を実践に移す”

”地道な反復練習は大きな成果につながる”

 

こうした教訓はバレエをやめた後の大学受験、そして現在のモデルの仕事

他にもすべてに活きている。

 

 

 

 

”辞める”ことはとても恐い。

でも、恐いと思うのは”続けてきたこと”から沢山学んだという証拠

次のステージでも絶対に輝ける。

 

 

夢を諦めたひとは”負け犬”なんかじゃなく、

”変化を選んだ勇敢なひと”だ。

 

 

 

 

付き合った相手がポークビッツだった話

 

どーも、おっさん女子大生ブロガーのとん。です。

 

 

今回はとてもとてもど下ネタでございます。

私はまだ経験人数3人なのですが、

二人目の方がポークビッツだったのです。

 

 

ポークビッツが発覚したときの心の葛藤をお話ししたいと思います。

 

 

 

ポークビッツとは》

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 伊藤ハムから発売されている、小指位の大きさしかない非常に小さなウインナー。  

                   (https://dic.pixiv.net/a/ポークビッツ より)

 

 

ここから、小さめのペニスをポークビッツと呼ぶ下ネタが生まれました。

 

 

 

ポークビッツと出会った話》

 

2人目の彼と付き合って1ヶ月ほど経ったある日、その時はやってきました。

 

さぁいよいよ。

正直キスや前戯はあまり気持ち良くなかったが、ほう、セックスも人それぞれなのだなぁと冷静に分析笑

 

さすがに何かしないとなと思い、掴もうとしました。

 

掴んだ瞬間…

 

『?!?!?』 

 

それが親指レベルの大きさ、そう、ポークビッツだったのです。

握ってるけど手の中に収まるくらい。

経験人数も2人目だし、そんな平均の大きさとか分からないし、頭は混乱しまくりました。

 

そのまま相手の勢いで本題に入りましたが、正常位で入らないという事態。

え、、これって普通なのかな、、?

と戸惑いを必死に隠しながら、促されるままに騎乗位に。

正常位よりは入ったものの、『なんかある』レベル、、、

 

結局すぐにゴールしてしまい、私は頭の中が整理できないでいました。

 

 

《この経験で自分の中で付き合う相手の

"性の相性"の重要度が高いことを知る》

 

私はこの後、とても悩みました。

 

確かに中にはセックスで満足できなくても好きなら我慢できるでしょ

 

と言う方もいると思います。

 

でも私はこのポークビッツ事件を経験して、

自分の中で思っていたよりも性の相性の重要度が高いと自覚しました。

 

 

ポークビッツほどの大きさの方は真性包茎などの可能性もあり、手術で治すことができるものですが、

この方はかなり年上だったこともあり、そんなことを素直に頼んだりすることは出来ませんでした。

 

"この先一緒にいて、セックスが満足できない"

生まれて初めてセックスレスなどが原因で不倫をする方の気持ちが少し理解できました。

(もちろん肯定するものではないです。)

 

話し合いで自分の想いを伝えられることが一番良い解決法だとは思いましたが、

私は葛藤した末、別れることを決めました。

 

 

《体の相性で相手を選ぶことは悪なのか?》

 

私はこの時もかなり悩み、Yahoo知恵袋を見漁りました。

 

そこには様々な意見がありましたが、その中に

 

『体が合わないからって別れるなんて、ほんとに好きじゃないだけだろ』

 

『ただのビッチ』

 

と言った意見もありました。

 

私も悩んでいた当時は体で決めるなんてなんだか悪いことみたいと考えていました。

しかし、

 

”体の相性”が相手を選ぶ1つのポイントになることは決して悪ではない

 

彼と別れた現在、私はそう思います。

 

体の相性は性格や価値観と同じようにとても大切なもの。

そこがひっかかるのは自然なことだし、そのまま付き合い続けるのは違う。

 

 

 この経験を通して、「こんな理由で別れるなんて」と自分を責めることは辞めました。

自分に正直に恋愛しようぜ!!!!!

 

 

 

 

 

どんな仕事相手にもリスペクトの気持ちを持つべき

どーも、おっさん女子大生ブロガーのとん。です。

 

 

みなさんは仕事相手にリスペクトを持って接しているだろうか。

 

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私は現在事務所に所属し、プロのモデルとして仕事をしている。

経験はまだまだ一年半のひよっこだ。

 

 

今まで色々な現場で仕事をしたが、一度だけ『バカにされている』と感じた現場があった。

 

その経験を経て思ったこと、それは

 

(相手がめちゃくちゃ仕事が適当とかを除いて)

 

"どんな仕事相手にもリスペクトの気持ちを持つべき"

 

ということだ。

 

 

 

《プロとして同じ土俵にいないと感じた現場》

 

その仕事はオーディションを受けて受かったものだった。

 

メインのタレントさんがいて、その友達という設定。

オーディションに受かった時から、もしかしたら顔は映らないかもしれないと伝えられていた。

 

タレントではないモデルは名前を売っているわけではないため、

‘手だけ‘

‘靴を履いて脚のみ’

と言う仕事も結構ある。

 

だから、今回も 

『ギャラをもらってやるのだからプロとしてしっかり仕事しよう』

という想いで現場に向かった。

 

撮影が始まると、本当に今回は背中のみだなと確信したが、

顔が写ろうが写らなかろうがやることは一緒。

 

 

がしかし、そんな想いを打ち砕く者が現れる。

演出監督

最初はとても面白いおしゃべり好きのおじさんかと思った。

 

彼は

「ごめんねえ、後ろ姿でぇ。顔出したいでしょお?いやーごめんねえ。」と言った。

 

最初に言われた時は気を使ってくれているのかと思い、私は

「いえいえー!背中でもなんでも仕事頂けるだけで嬉しいです!」

と元気に即答。

 

まぁ、2、3回(本当に気遣いだったら1回だろうけど)は我慢する。

でも彼はその言葉を5分に1回連呼するのだ。

結局撮影が終わる深夜までその言葉を言われ続けた。

 

だんだんと、

『この人は私をなんだと思っているのだろうか。』と思ってきた。

 

 

私がノーギャラで職業体験的なやつでやるなら話は別だけど、

 

演出監督が"プロ"として仕事しているのと同じように

モデルの私だって"プロ"として仕事しにきている。

 

 

周りのスタッフも最初は笑っていたものの、だんだんと苦笑いになり明らかに気を遣わせてしまっている。

私は"悲しい"よりも、"悔しい"と言う感情になるタイプなので自分は良かったが、周りの人を不快にさせるのは許せなかった。

 

 

 

《どんな相手でも一緒に仕事をするならその人は"パートナー"》

 

確かに私はキャリアも経験も少なく、年齢も21歳で若い。

しかしプロであり、共にいい仕事をしたいと思っている。

 

仕事の中でのダメ出しやアドバイスは同じ土俵に立っているとみなしているからできるものだ。

仕事相手を見下した言動とは全く異なるものであり、

 

前者は現場をより熱く良い雰囲気にするのに対して

後者は現場の指揮を下げ、みんなが気を使うようになる。

 

 

私はこの経験をした直後はただ、悔しくて見返してやる!と燃えていた。

が、今となってはこうした思いをキャリア一年目にできて良かったと思っている。

 

 

【仕事相手をリスペクトすること】

 

これはどんな現場でも、

どんな相手でも、

"いい仕事"をする上で必要不可欠なことだと学ぶことができたからだ。

 

 

自分がどんなに歳を取ろうと、経験を積もうと

この教訓は忘れない。

 

“当ててくる“痴漢の最も効果的な撃退法

 

どーも、おっさん女子大生ブロガーのとん。です。

 

 

みなさんはご存知だろうか。

もはや痴漢は"触る"時代ではない。

 

“当てる" 時代なのだ。

 

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その1日を最悪な気分にさせる痴漢。

見た目はどうやら儚げに見えるらしく、私もぼちぼち痴漢をされた

 

そんな私がが生み出した最強の痴漢撃退法、それは

 

痴漢くんの目をガン見する

 

 

 

"当てる"痴漢とは

 

そもそも、“当てる"痴漢とは

まぁ、そのまんまやな。

ムスコを当ててくる痴漢のこと。

 

初めてその存在を知ったときは

 

『は?当てるだけで満足できんの?』

 

と衝撃だったが、実際に当てるタイプはかなり多い。

 

触られるよりまだいいじゃん、と思う方もいるかもしれんが

実は“当てる"ほうがたちが悪い。

 

当てる痴漢は

『わざとじゃない、当たっちゃっただけだ。』

と言い逃れができるのだ。

でも正直当てられてる方は確実にわかる。

わざとだ、と。

 

私はいつも警察に突き出せないこの"当てる"痴漢に憤慨していた。

 

 

 

そこで発見した撃退法が、

 

【痴漢くんの目をガン見する】だ。

 

 

痴漢くんの目をガン見する

 

大学に向かう満員電車の中、またもや痴漢くんに遭遇。

「はぁ、うぜえなぁぁ。でもどうせ言ってもわざとじゃないで終わるしなぁ。」と

もやもやしていた。

 

その時、この案が舞い降りたのだ。

 

電車が停車した。

おそらく痴漢くんは私が動きだすのを感じた時、

「うへへ、女の子怖くて降りちゃうかなうへへ、」と思ったに違いない。

 

がしかし、私はおもむろに、振り返った。

 

すると

『おおおい、だいじょぶかよ!

それじゃ、やりましたって言ってるようなもんだぜ!?』

レベルできょどりまくる痴漢くん。

 

 

残念ながら、儚くも可愛くもない私は

泳ぎまくる痴漢くんの目線に合わせに行く(笑)

 

 

 

結局、痴漢くんは次の駅で降りて行った。

 

 

声を上げるのは意外と難しい。

 

声を上げても、みんなが見て見ぬふりするかもしれない。

もしかしたら本当にたまたまで、私の勘違いかもしれない。

相手の冤罪だったら。

 

確かに疑われる立場の男性も、腕を上げていたり大変なこともあるだろう。

でも、痴漢される側がなんでこんなに悩まなあかんねん。

 

 

だから私は少しでも気分がスカッとする

この方法をぜひおすすめしたい。

 

 

 

痴漢されても怖くて何もできない女の子、

あなたは何にも悪いことをしていない。

堂々と痴漢の目を見ろ。