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20代が私だけじゃないと共感し、ほっと一息できるスポット

”打つ”行為が言葉の重みを麻痺させる

どーも、おっさん女子大生とん。です。

 

 

今日、とてもショッキングなニュースが飛び込んできた。

私が毎週欠かさずに観ているテラスハウスに出演していた木村花さんが亡くなったというニュースだ。

 

木村花さんは以前からSNSなどでの誹謗中傷に悩まされてきた。

未だ死因は公表されていないが、この誹謗中傷が彼女を苦しめていたことは明白だ。

 

 

私はこの訃報を聞いて、

『なぜ人は面と向かっては絶対にいえないような言葉をSNSではいとも簡単にいえてしまうのだろう』と考えた。

 

 

それは”打つ”という行為が関係しているのではないだろうか。

 

 

《”書く”と”打つ”の違い》

 

私が小学生のころは”打つ”という行為をほとんどしなかった。

宿題や友達との交換日記はすべて手書きだった。

 

手で”書く”ことの長所は以下のようなものだ。

 

・考えて、書く。

・書いたものは自ら手渡したり、ポストに投函しないと相手に届かない

・読み返す

 

 

<考えて、書く>

 

手で文字を書く時、まず頭で何を書こうか考える。

考えて、何を書くのか決まらなければ”書く”行為には移れない。

しかし、”打つ”となると、考えながら打つことができる。

パソコンやスマホに打ち込む文字は消しゴムや修正機が無くても、簡単に消すことができる。

 

「こう書いたら相手は何と思うだろう」

「自分は何が言いたいのか」

書くことはこれらを考える時間を作ってくれる。

 

 

 

<書いたものは自ら手渡したり、ポストに投函しなければならない>

 

メールやLINE、SNSは家にいようが電車の中だろうがどこにいても送ることができる。

書いた手紙は自分で届けに行かなければいけない。

親指だけで作った文章と、体を使って相手に届ける文章の重みが異なることは歴然だ。

 

手紙や書類をポストに投函するときのわくわくやドキドキはメッセージボタンにはない。

 

 

<読み返す>

 

手紙を書いたとき、私は完成した手紙を封筒に入れる前に必ず読み返す。

誤字はないか、おかしい言い回しはないか、

自分の言いたいことが相手に届く文章か

 

ところがLINEやSNSでは自分が打った文章を読み返すことはほとんどない。

読み返すとしても、相手に送った後だ。

 

読み返すという行為が自分と向き合うものであり、

その言葉を読んで自分はどう思うかを考えることができる大切な時間なのだ。

 

 

《”打つ”行為が言葉の重みを麻痺させてしまうからこそ、一人一人がそれを自覚しなければならない》

 

 

芸能人にアンチや誹謗中傷を送る人たちは、手紙なら同じ言葉や言葉使いを使っただろうか。

何も知らない相手に向かって書いた汚い言葉を読み返せば、封筒に入れてポストに投函する人は少ないだろう。

 

だがすでに現代は”打つ”行為に溢れ、”書く”ことは少ない。

この時代の変化は止めることができないからこそ、

私たちが”打つ”ことで言葉の重みがなくなっていることを自覚しなければならない。

 

 

”書く”としたら自分は本当にその言葉を相手に贈るのか。

自分に問い、自分に恥じない言葉を選びたい。